君の顔が好きだ。

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ceronoyatu

 

 

ceroが『POLY LIFE MULTI SOUL』を5月16日に発売した。ひと月以上が経った中で、ことばにしたいという熱量が冷めやらなかったので、自己満足な記録として書き残しておきたい。
今回、所謂ディスクレビュー的なもの。

 

 

POLY LIFE MULTI SOUL

01. Modern Steps
02. 魚の骨 鳥の羽根
03. ベッテン・フォールズ
04. 薄闇の花
05. 溯行
06. 夜になると鮭は
07. Buzzle Bee Ride
08. Double Exposure
09. レテの子
10. Waters
11. TWNKL
12. Poly Life Multi Soul

 

収録曲は全12曲。最近のライブではすっかりお馴染みになっていた曲たちが音源化された喜びと、全くもって初体験のceroを久しぶりに楽しめることがまずは純粋に嬉しい。
今回のcero、取り上げられ方としては「ceroの見せる新機軸!」といった雰囲気を想定していたが全くもってそんなことはなくて。
かなりブラッシュアップされた「本当はこれがやりたかった」「こういうことに最近興味があるんだ」というバンドの現在の方向性を感じさせてくれる。そんなアルバムになってると思う。
これまでのceroはエキゾチカにブラックなニュアンスの強いバンドというイメージで、バンドにとってこの表現が嬉しいことなのかはわからないが、個人的には理想的なシティ・ポップの体現者だった。限りなくわたしの住む街と、わたしの生活に寄り添うような、そんな音楽を鳴らすバンドだった。
しかし今回のアルバムは、見事に今まで全体を捉えていると思っていたceroというバンドの全く新しい表情を示してきた。

 

タイトルにもあるとおり、ポリリズムが全体のキーワードになっている今回のアルバム。しかし正直「ポリリズム」なんて言われても繰り返すタイプのポリリズムしか知らない。プラスチックみたいなやつ。
ググってみるとポリリズムは楽曲中、または演奏中に異なる複数の拍子が同時進行で用いられている音楽の状態のことである。とある」。naruhodo。
このポリリズム、そしてタイトル『POLY LIFE MULTI SOUL』についてceroメンバー高城晶平は

 

「我々は幾層にも折り重なった生を生き、かつ一人一人が個別の魂を宿している。」それが”Poly Life Multi Soul”の僕なりの解釈です。

 

としている。
「同じ時を生きている僕らは・・・」的な同調を強いるのではなく、あくまで瞬間を共にしているのであって、個人の生はその中で確立され尊重されている。ということなのかなと思った。いや、難しく言いすぎているのだけど。
単純にceroにとっての「自由」「生命」「音楽」「ダンス」の解釈と表現が変わったと言うのか。いや、やっぱり難しいしよりポエミーで抽象的になってしまう。

マイ・ロスト・シティーでは「ダンスを止めるな!」という強い表現でもって踊ることや、生きることへの根源的な肯定を感じていたのだけど、今回のアルバムはより自由で、「音楽で踊ること」と「音楽で(によって)生きること」をより個人的な領域に持ってきてくれた。自分で選んで、好きにしていいんだと思う。本来、そうであった筈なんだけど。その感覚をceroの解釈でもって完成させたのがこのアルバムなんじゃないか。

楽曲内にはダンスを連想させる言葉が数多く登場する。このアルバムを通して「踊ること」と「生きること」は同義であるように思う。踊り続けないといけなかったステージをceroは通過し、今新しい場所に到達しようとしている。
アルバム終盤、10.Watersに「同じ場所にいながら 異層に生きるものたち」という歌詞がある。本当のことだと思う。同じ場所にいるが、異なっている。それがいまの私たちなんだろう。一つのコンテンツが爆発的に人々を熱狂させる時代はもしかしたら終わりに向かっているのかも知れない。個人の世界がこれからはより重要視されるんだろう。そんな中で広く人に訴えることのできる音楽を通して、個人を確立させながら同じ場所で人を熱狂させるceroを頼もしく感じる。

 

この記事を書いている段階でアルバムツアーは終了してしまっているけど、早く映像化して欲しいし、早くも次のステージが見たくてたまらない。今年もceroは通年で。がっつり聴かせてもらいます。

 

いつもながらまとまらない好き放題な文章ですが、みんなで今年もtrafficに行こうよってことです。