君の顔が好きだ。

ぼくの話を聞いてくれ

ぼくたちの好きなグッドミュージック。結局は星野源が好き。

 

2017年、8月5日の土曜日。忘れられない日になった。その日は土曜出勤日、翌日8月6日に星野源 LIVE TOUR 2017 continues 横浜アリーナ公演2日目を控えた私は浮かれていた。翌日のライブに想いを馳せて、奇跡的に一般発売で取れたチケットに浮かれて撮った写真を見返すことにした。

 

ライブの開催日は 8月5日 土曜 となっている。

 

 

「は????」

 

 

 意味がわからない。

今日はただの出勤日で、ライブを翌日だと思い込んでいた私はご丁寧にチケットをお家で保管していた。チケットが手元にない。見たい気持ちが先走ってもう元も子もない自体になっている。

 仕事をなんとかこなし、自宅に急ぎチケットを確保し横浜へ。新横浜から会場まで「タクシー使うか…?」なんて考えつつ足早に横浜アリーナまで急ぐ。会場を目の前に時刻を確認すると19:34。開場が16:30の開演が18:00の公演。つまり1時間34分の遅刻を既にかましていることになる。ここまでくるとなんだか妙なテンションになって、会場入り口付近に設営されている記念撮影用パネルを写真に収める。これまでに行った星野源のライブの中でもここまで展示物に人がいないのは見たことがなかった。何故なら開演しているから。そう。もう既にお目当ての彼はステージを所狭しと使って歌って演奏していやがるから。

紙チケット入場口からようやくの思いで入場する。本人確認を済ませて会場に入る。スタッフ以外には人がいない。分厚い扉の向こうからはCMに使われたような曲が始まろうとしている。しかし最早「会場に着いた時点で勝ち」といった心境で、場内記念撮影スポットや、衣装展をしっかり見る。物販列もまるでない。スタッフは寧ろ休憩時間といった感じで弁当を食べていた。それもそうだ。もうすぐ20:00、お腹も空くだろう。そそくさと買い物を済ませ、ようやく会場に入る。

 

ライブ自体は3分の1と少し見れたかな?といった感じで終わった。演奏楽曲、演出なりについては音楽情報サイトのライブレポなりを見てほしい。きっと私が見られなかった、聴けなかった曲も最高だったに違いない。私が見聞きした曲については最高だったことを保証したい。星野源星野源として楽しそうにそこにいた。

 

 

ライブのレポートは大して見てないから出来ないが、ずっと思っていることを少し書く。

 

 

  • 踊る』ことについて。

星野源はライブ中によく「踊れ」「自由に踊って」と踊ること、しかもそれを自由に自分なりに行うことを求める。正直に思うのは「随分難しい要求をするなぁ」

ライブMCや様々なインタビューを完全記憶している訳ではないので、ここからは個人の妄想と空想と思い込みだが「踊る」ことに彼が重きを置き始めたのはやはり『SUN』の発売以降な気がする。

 

『Crazy Crazy/桜の森』で、自分の中でサウンドとかやりたい方向は実現できたなって思ってたんですけど、もっと、A面のど真ん中でJ-POPとして鳴るっていうことがやりたいなって、発売後すぐ思って。特に理由なく盛り上がるとか、理由なく楽しいとか、聴いて何かわくわくするとか、腰が動くとか、そういうものにしたいなと思ったんです。

 

すごく端的にいうと、大人になったってことなんですけどね(笑)。単純に楽しいとか、おもしろいとか、気持ちいいとか、そういうことに集中したいなというか。もう否応なく明るい、何の理由もない生命力って何だろうって思った時に、それは太陽だったんですよ

 

わりともう今は、日常系とか言われてもOKみたいな(笑)。やっぱり人の受け取り方って全然違うし、それを統一していくっていうのは無理だし。「これ俺好きなんだよ」ってちゃんとバッて出す、「楽しいんだよ」っていうのをまっすぐ出す。リスナーっていうよりは、自分を信用できるようになったというほうが強いかもしれないです

【RIJ 2015年7月号より】

 

 

それ以前の発表曲に身体が動くものはあれど所謂「踊れる感」のある楽曲はない気がする。休養から復帰し、ある種今までの自分とは違う自分を見つけた星野源が、楽しさの表現の一つとして踊ることを意識し始めたんじゃないか?と妄想する。

その後発表される『YELLOW DANCER』は踊ることを念頭に作られているように思う。聴く人と楽しさを踊ることで共有することを明確に彼が理想として、それを表に出すようになった。しかし日本人は踊るのが下手だ。個性を出すことを極端に抑制される場面を多く経験しすぎた。自分の好きなようにすることが怖くて、それでいて恥ずかしく思ってしまう。そもそも踊り方を私達は知らない。

その筈だったのに、気づいたら『恋』は多くの人を踊らせた。『恋』のヒットと共に『恋ダンス』は多くの人に広まって、統一された振り付けを楽しむ中で日本人は踊り方を思い出し始めているように感じた。星野源は踊り方を忘れた私達にそれを教えてくれた。

恋ダンスを巡ってライブで楽曲が披露される度にネットでは「みんなが同じ振り付けを踊るのは良いことなのか?」 という議論が為されるが、私は大いにアリだと思う。みんなが同じ事をしている気持ち悪さも見ていて気持ち良い。踊ることを求めるアーティストはいても、踊り方を教えてくれるアーティストはそういないんじゃないか。

だから私も、星野源の仕掛けた盛大な計画に巻き込まれたような気持ちになって踊る楽しさを思い出してみたいと思う。

 

 

  •  「見えてる」

今回のライブ、ただ一つだけ残念に思うのは、彼がライブ中のMCでよく言う「一番後ろまで見えてるよ」という言葉が聞けなかったこと。わからないが、多分この日も言ってくれと思う。本当に後ろまで見えていると信じ込む程夢見がちな訳ではない。人間の視力には限界があるし、明るいステージから客席を見ると真っ暗闇に見えるとどこかのバンドマンが言ってた気もする。ただステージの上から客席の端から端までを気にかけているよ、と言葉にして伝えてくれる彼の姿勢に感動するのだ。

 

ファンというのは身勝手なもので、時折好きな相手に対して愛情と憎悪の入り混じったような感情を抱く時がある。『出た番組を見られなかった』『掲載された雑誌を買わなかった』『最近好きになった』誰から非難されるものでも、されるべきものでも無いはずなのに、自分の中でそれが罪悪感のようなものを生み出して『好きな気持ち』を鈍らせたり、曇らせる時がある。感じたことのない人には意味の分からないことだと思う。でも確かに私達はそんな感情を味わう時がある。

彼の言葉は『好きで満たされている人』にも『好きな気持ちに正直になれない人』にも届く。こちらが勝手に作った心の距離を勝手に詰めてくる。でもそれは無茶な力強い言葉じゃなくて「見えてるよ」なんて優しい言葉を選んでくる。ズルい。好きになっちゃうじゃないか。好きになった時の気持ちを思い出しちまうじゃないか。

最近の活躍は凄まじい。音楽も芝居も文章も広く世間に知られるようになったんだと思う。そこに自分との距離感を遠いものに膨らませる人の気持ちもわかる。少しだけいじけてしまう。それを「冷めた」なんて言葉で誤魔化す時もある。そんな気持ちを毎回ぶっ壊してくれる彼の言葉が好きだ。本当に見えていなくてもいい。ただ「見えてる」と言い切る彼を信じているし信じたい。

 

 

 

 

 

長々とした文章で何を伝えたいかと言うと「星野源は最高」「音楽に人生救われちまったと本気で思ってる人の文章は気持ち悪い」ってことです。

結局は星野源が好き。